ニューヨークに興ったブルーノート・レコードは、ジミー・スミスやマイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、アート・ブレイキー等々、名だたる演奏家たちの傑作を世に送り出してきたモダン・ジャズの名門だが、設立者アルフレッド・ライオンと写真撮影を担当した共同経営者のフランシス・ウルフ(1907–1971年)は、ナチスから逃れてニューヨークにやってきた亡命ドイツ人であった。決して裕福とは言い難い労働者の身でありながら、後先考えずにライオンが最初の録音を実施したのが1939年のこと。ウルフが彼を頼ってこの街にやってきたのも同じ年のことだ。
1920年代のベルリンで青春時代をすごした二人は、当時この街を賑わせていたジャズに傾倒し、その熱狂は生涯続くこととなった。そして、ウルフは母の勧めで写真技術を習得しているが、ドイツにおける20–30年代といえば、写真独自の表現を追求する機運が高まり、新即物主義から新興写真へと続く写真運動が巻き起こった時期であり、その影響はウルフの写真にしかと見て取れる。
そして、もう一つ忘れてはならないのは、1940–50年代のニューヨークが写真やグラフィックアートが躍進する舞台となり、その立役者の多くはウルフ同様、亡命者や各国からの移民、つまりディアスポラであったということだ。例えば、「ハーパーズ バザー」誌のアートディレクター、アレクセイ・ブロドヴィッチや「ヴォーグ」誌のアートディレクター、アレキサンダー・リーバーマン(ともにロシア革命により亡命)、ダイナミックな野外撮影で新しい写真表現を提示したマーティン・ムンカッチ(ユダヤ系ハンガリー人)等々。
渡米後しばらくはカメラマンとして収入を得ていたウルフだが、ブルーノート・レコードにおけるライブやレコーディングの撮影はもちろん彼の仕事だった。無駄な要素を省きながらも、演奏者の姿に迫るウルフの写真は、モダンな感覚に溢れ、ジャズの魅力や世界観を見事に視覚化した作品として、多くの音楽ファンや写真ファンを魅了した。また、最盛期のブルーノートでアルバム・ジャケットのほとんどをデザインしたリード・マイルズ(1927–1993年)は、タイポグラフィを駆使した大胆なデザインを得意としたが、当時のニューヨークからおおいに刺激を受けていたに違いない。
50–60年代に撮影されたウルフの写真プリントや、マイルスの作品を含んだ貴重なヴィジュアル・アーカイブがニューヨークから初上陸した本展。名盤のジャケットに使用された元写真はもちろん、撮影者ウルフの視線がよりあらわになる貴重なコンタクトシートも見所の一つであった。

*参考:リチャード・ヘイヴァーズ著、行方均監修『ブルーノート・レコード-妥協なき表現の軌跡』(ヤマハミュージックメディア、2014年)

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展示作品
プリントパネル40点
コンタクトシート 17点
クロップ写真 4点

巡回可能期間:2018年まで

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